
かつて吾が国の人々は足元を何よりも大切にしていました。体作りが常に下から始まり、上半身へと積み上げていくものでした。
今SNSを開けば様々な健康法が溢れています。海外セレブがやっている筋トレ、スタンフォード式なんとか成功者たちの朝のルーティーン、どれも魅力的に見えますし、実際に効果があるものもあるでしょう。
※ここで、嘗ての日本人が日常的に行ってきていた「健康法」を過去に遡って考えてみましょう。

人間の骨の数は、成人で約206個
頭蓋骨は1つなのですが、細かくパーツに名前がついており、実は29個の骨で構成されています。
背骨の数は頸椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙骨と尾骨を1つずつと数えると全部で26個です。
胸郭は 左右で 計25個。
上肢骨は左右で 計64個
下肢骨は左右で 計62個

足のうら骨→28個 地面の傾き・硬さ・凹凸瞬時に情報を感じ取り全体のバランスを整える。動きに合わせて働く。 日本人は足元から 下駄 草履 足袋で親指から歩く機能が失われた。
靴が全てを手伝ってくれている。足の機能がお馬鹿さんに 靴がすべてやってくれるから・・・
足の骨(足首から下)は、片足で28個(両足で56個)あり、これは全身の骨の約1∕4に相当します。 足根骨7個、中足骨5個、趾骨(指の骨)14個、種子骨2個で構成され
これらの複雑な骨の配列と多くの関節、靭帯がアーチ構造を形成し、体重を支えています。

興味深い現象があります。健康のためにジムに通い始めた人が逆に体を壊しているのです。首が痛い、腰が痛い。膝が悪くなった。控えているはずなのに、不調を訴える人が増えている。
健康のためが不健康の原因になっている。この矛盾に気づいている人はまだ多くありません。

どのような「體」を理想とするか、それは生き方そのものの反映です。西洋には西洋の日本には日本の「體」作りがある。
日本人が本来持っていた「體」の知恵について・・・今流行している健康法の意外な落とし穴
なぜ健康のためが逆効果になるのか、その構造が見えてきます。體を鍛えているのになぜか調子が悪い。そんな経験をされた方、あるいは周りにそういう方がいらっしゃるのではないでしょうか

きっかけは何だったのでしょうか?多くの場合SNSです。画面の向こうで海外のセレブや成功者たちが引き締まった「體」を見せています。この人のようになりたいと言う憧れが生まれます。

スポーツジムに行って何を目指すのか、その理想の「體」のイメージがほぼ全て西洋から輸入されているのです。熱い胸の筋肉、割れた腹筋、たくましい姿を映画で見る。
アメリカのビジネスマンやSNSで発信する成功者たちの「體」 あれがかっこいい「體」の基準になっている。少し立ち止まって考えてみてください。あの「體」は何のために作られているのでしょうか?アメリカと言う社会において鍛えあげられた「體」は一種のステータスです。

所得が低ければ安価なジャンクフードしか食べられない。結果として肥満。引き締まった「體」を維持できていると言う事は、それだけの経済力と自己管理能力がある。
歯の矯正をして、ホワイトニングをして筋肉を鍛える。それが信頼できる人間の外見的な条件になっている社会なのです。つまり、あの「體」作りの本質は「見せるため」であり、「健康のため」ではなく、社会的な信用を得るための外見的「パフォーマンス」です。

文脈を知らずに、日本人が形だけを真似している。ここに最初のズレが生じています。さらに深刻な問題があります。ジムのマシンと言うものは特定の動きに特化して設計されています。このレールに沿って腕を動かす。決められたルートで決められた筋肉だけを鍛える仕組みになっている。
すると何が起きるか、その部分の筋肉だけが発達していきます。鏡を見てついてきたと嬉しくなる。もっとやろう。プロテインもさらに補おう。結果が目に見えるからどんどんのめり込んでいく。

體と言うものは全体で1つのシステムです。ある部分だけを肥大させると、周囲の筋肉や骨格が引っ張られる。バランスが崩れる姿勢が歪む。上半身ばかり立派になってそれを支える下半身が追いついていない。特に多いのが首と腰の痛みを訴える人々です。
胸の筋肉を鍛えすぎて、肩が前に引っ張られ首に負担がかかり、猫背が進行して腰にも影響が出る。筋肉を触ると悲鳴を上げるほど常に緊張状態にある人もいます。體は悲鳴を上げている。これが健康のためなのでしょうか?

女性でも腹筋を割ることが一つの流行になっています。SNSで引き締まったお腹を見せるヨガ、ベアトップ姿の女性たち かっこいい。私もなりたい。しかし腹筋を割るためには、体脂肪率を10%以下にまで落とす必要があります。女性の体は本来男性よりも体脂肪率が高く設計されています。
それは弱さではなく、體を守り、次の世代を育むための仕組みです。それを無理に削ぎ落とすと、内臓が冷え様々な不調が現れ、見た目のかっこよさと引き換えに体の根本的な機能を損なう。
ここまでの話を整理すると1つの構造が見えてきます。SNSを通じて西洋の見せる體の基準が輸入される。日本人がそれを健康と混同して真似をする。

結果として、健康になるどころか、體を壊す人が出ている。これは個人の努力不足ではありません。そもそもの方向性が日本人には合っていないのです。
では、日本人は本来どのような體の作り方をしてきたのでしょうか。そこには骨と言う一つの文字に込められた深い思想がありました。

筋肉と骨、この2つの違いは、単なる身体の部位の話ではありません。そこには文明の思想そのものが現れているのです。日本語の中に隠された知恵を見てみましょう。「體」と言う字があります。現代では「体」と書きますが、かつては違う字を使っていました。旧事態では「體」と書きます。
これを分解すると、骨が豊かと書いて「體」と読む、興味深いと思いませんか、筋肉が豊かでなく、骨が豊かで體の、この一文字に日本人の身体感の核心が込められています。
さらに日本語には骨にまつわる表現がたくさんあります。骨を埋める、覚悟という言葉があります。これは文字通り骨を埋めたいわけではありません。
この場所に人生と魂を捧げるという意味です。骨があると言う表現もあります。心が通っている、簡単には折れない精神を持っていると言う褒め言葉です。 逆に骨抜きにされると言えば、大切なものを奪われて弱くなった状態を指します。どれも骨という言葉が目に見えない精神的な強さと結びついている。

筋肉にこのような使い方はありません。筋肉を埋める覚悟とは言いませんし、筋肉のある人と言っても、精神的な強さは意味しない。ここに日本人が何を大切にしてきたかが見えてきます。もう一つ興味深い文化があります。
日本では神様柱です。一柱二柱と言う具合になぜこちらなのでしょうか? 柱と言うのは建物を支えるものです。存在ではありません。壁の中に隠れていることもあり、しかしそれがなければ建物全体が崩れてしまう。
見えないところで全体を支えている大黒柱と言う言葉もそうです。 家族を支える中心的な存在を屋台骨と言う表に出て目立つことではなく、見えないところで全体を支えることに価値を置いている。 これは、俺がこれだけ鍛えた私の「體」を見て、と言う発想とは根本的に異なります。

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西洋的なボディーメイクの思想は、どちらかと言うと「個人主義的」です。 自分の體を、自分の意思でその成果を見せることで、社会的な評価を得て生きている間に、どれだけのことを成し遂げたか、それが価値基準になって、本来的な身体感、もっと長い時間軸で體を捉えています。 生きている間の成果よりも、死して何を残すか、自分が目立つことよりも、全体の中でどのような役割を果たすか、吉田松陰と言う人物は幕末の思想家ですがわずか29歳で処刑されました。
しかし彼の死に様と残した言葉が、弟子たちの心に火をつけた。その弟子たちが明治維新を成し遂げていきます。生きている間に何かを成し遂げたと言うより死することで、何かを残した人です。これが日本的な偉人の形です。體の作り方にも日本人としての、この思想が反映されています。

西洋式の筋肉作りは即効性があります。やればやるほど目に見えて結果が出る。その結果を鏡で確認できる。他人にも見せられる。しかしそれは「今」に焦点を当てた體作りです。
日本式の體作りはもっと長い目で見ています。今すぐ結果が出なくてもいい。むしろ生涯を通じて使い続けられる體を作る道という事を一つとっても、動ける働ける誰かの役に立てる。あなたはそういう體を目指してはいないかもしれません。SNSでみせびらかすような體にはならないかもしれません。
しかし、80歳になっても自分の足で歩き90歳になっても畑に出られ、そういう體を作ってきたのが日本の伝統的知恵なのです。

2つの選択肢
一つは西洋式の見せる體を追い求める道、もう一つは日本式の使い続ける體を目指す。
どちらが正しいということではありません。
しかし知らずに形式だけを選んでいたとしたら、今日から選択肢が増えたことになります。何を知っているかで選べる未来が変わってくる。
では日本式の「體」作りとは具体的に何をするのでしょう。
それは意外なことに上半身ではなく、足元から始まります。下駄と足袋と言う今ではほとんど使われなくなった履物の中に驚くべき合理性が隠されていました。上半身を鍛える前にまず足元を見てください。
日本人の體作りは常に下から始まりました。これは単なる順番の問題ではなく、體と言うものをどう捉えるかと言う根本的な思想の違いなのです。

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あなたの足の裏には28個もの小さな骨がある。
片足だけで28個、両足で56個です。人間の體には全部で約206個の骨がありますから、実に4分の1が足に集中していることになります。なぜこれほど多くの骨が足の裏に必要なのでしょうか? それは足が単なる地面に接する部分ではないからです。
この28個の骨は、それぞれがバラバラに動くことができます。地面の凹凸傾き硬さ、そうした感じに対応し、足の裏が體センサーであり、制御装置なのです。
そして、私たちの體の筋肉のうち、実に70%が下半身に集中しています。上半身は30%に過ぎません。この比率は偶然ではありません。體と言う建物を支える土台として下半身がそれだけ重要だと言うことです。

かつての日本人はこの構造をよく理解していました。その知恵が凝縮されているのが下駄と足袋です。下駄と言うものを実際に履いたことがある方はどれくらいいらっしゃるでしょうか? 温泉旅館で少し履いたことがあると言う程度かもしれません。 ただの木の板です。クッション性は全くありません。
現在のスニーカーとは正反対の設計思想です。 最近の靴は衝撃を吸収するクッションが入っています。足首をサポートする構造があり、足の形に合わせたインソールされてとても親切な設計です。 しかしこの親切さが問題を生んでいます。靴が全てやってくれるので、脚の機能そのものが働かなくなるのです。
26個の骨が連動してバランスを取る必要が無くなる。筋肉が地面の情報を読み取る必要がない。 便利な靴に包まれて、足の感覚が少しずつ眠っていく・・・考えてみてください。 もしあなたが毎日誰かに車で送り迎えしてもらっていたら、歩く力が衰えていきます。それと同じことが足の中で起きているのです。
下駄はその正反対です。クッションがないから足自身が衝撃を吸収しなければならない。26個の骨が総動員されて、地面の情報を読み取りバランスを調整する。 下駄を通して大地を直接感じながら、足が本来の機能を発揮し始める。初めは疲れるかもしれません。しかしそれは足が働いている証拠なのです。

足袋には深い知恵が込められています。足袋の後に小鉤(こはぜ)と言う金具が付いています。 この小さな金具でアキレス腱のあたりを適度に締めると不思議なことに姿勢が安定するのです。 現在のスポーツ用サポーターとは違う繊細な支え方です。そして下駄や草履には鼻緒がついています。
親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで、そこにきゅっと力を入れて歩くと、自然と土踏まずを使わざるを得なくなります。現代人に多いのが足の外側に体重をかけて歩く癖です。親指の付け根ではなく、小指側で踏み切っている。これでは土踏まずが機能しません。
※「土踏まず」足のアーチのことで、内側縦アーチ、外側縦アーチ、横アーチの3つがあり、体重を支え、直立姿勢を保つ役割を果たしています。運動神経がいくら良くてもこの歩き方をしていると、やがて膝を痛めることになります。
基礎がしっかりしていないまま激しい運動を重ねるからです。鼻緒を挟んで歩くことで、自然と正しい重心の位置に導かれます。先人たちは履物の設計だけで體の使い方を矯正する仕組みを作り上げていたのです。

ここで體作りの順序について考えてみましょう。 まず下駄と足で足元を整える。足がしっかりするとその上の膝が安定する。膝が安定すると股関節が正しく機能する。そこに帯を締める、帯を締めると腰がすわり上半身がぶれなくなる。下から順番に積み上げていく。
この思想は植物の成長と同じです。根が深く張っていない木に重い枝葉をつけたらどうなるでしょうか、風が吹けば倒れてしまいます。まず根を張り、幹を太くし、それから枝を伸ばす。当たり前のことです。
しかし現在の筋トレはこの順序を無視しています。土台である下半身を鍛えないまま上半身ばかりを大きくしようとし、根が浅いまま、枝ばかり重くなっていく。
だから、バランスを崩すのです。70%の土台の上に30%が乗る。この比率を守ってこそ体全体が調和する。昔の日本人は誰に教わるでもなく、この原則を生活の中で実践していました。

私たちの體には先祖から受け継いだ知恵が刻まれています。 下駄を履いたことがなくても足袋のコハゼを閉めたことがなくても、あなたの體はその使い方を覚えている。
DNAの中に日本人として生きてきた何世代もの記憶が眠っているのです。 この話をきっかけに、その記憶が少しずつ蘇ってくるかもしれません。 ではここで一つの疑問が浮かびます。これほど合理的な日本式の體作りがなぜ今は失われてしまったのでしょうか?

その背景には、単なる時代の変化では説明できないある構造が見えてきます。 そして今それを取り戻すことには深い意味があります。下駄も足袋もわずか100年ほど前まで当たり前のものでした。日本人なら誰もが履いていた。
それが今では温泉旅館か神社の境内でしか見かけなくなっています。なぜこれほど急速に失われたのでしょうか? 表面的な答えは近代化です。
明治以降、日本は西洋に追いつくためにあらゆるものを西洋式に変えていきました。 服装も靴も生活様式も和服を着て下駄を履いていては工場で働くにも軍隊で行進するにも不便だった。効率を求めて西洋式が導入されていった。それは歴史的な必然だったともいえます。

しかし、和多志の視座から観察しているともう一つの側面が見えてきます。「遅れている」と言う意識の刷り込みです。
西洋式が進んでいるもので、日本式は遅れている。そういう価値観がいつの間にか当たり前になっていった。着物より洋服の方がモダンだ。下駄より革靴の方がスマート。日本の伝統的なものは、古臭い。田舎臭いと言う感覚が何世代かかけて染み込んでいったと思います。
そして、現代のSNSの時代になって、この構造はさらに加速しています。世界中で同じ「正解」が共有される時代です。かっこいい體とはこういうもの、健康的な生活とはこういうもの、その基準のほとんどが欧米から発信されている。
日本式の體造りや健康法は、そもそも選択肢として認識すらされていない。存在していないかのように扱われている。しかしここで立ち止まって考えてみてください。 本当にすべての人間に同じ體造りが合うのでしょうか。 思考も食文化も生活様式も違う何千年もかけて、その土地に適応してきた體がある。 それを無視して、画一的な「正解」を当てはめることに無理は無いのでしょうか?

和多志は體と言うものは「魂の器」だと考えています。魂がこの世界で活動するために體と言う器を借りている。そしてその器は生まれた土地や先祖から受け継いだものでできている。日本人の體には、この島国で何千年も生きてきた知恵が刻まれています。
湿度の高い夏を乗り越える智慧、四季の変化に対応する智慧、発酵食品から栄養を得る智慧、足元から體を造り上げていく知恵、それは頭で覚えたものではなく、體そのものに染み込んでいるものです。
足元を強くすると言う事は、単に筋肉をつけるということではありません。大地とのつながりを取り戻すということです。足袋・下駄を通して地面を感じ、この土地に目指して立つ感覚を思い出す。 脚を大切にすると言う事は、先祖とのつながりを意識すると言うことに繋がるのではないでしょうか。
自分の體は、自分だけのものではなく、何世代にもわたって受け継がれてきたものである。 その認識を持つこと、體を造り直すと言う事は、「魂の器」を整えるということなのだと・・・。 西洋式のボディーメイクは、自分の體を自分の意思で造り替えると言う発想に基づいています。 それは一つの考え方として否定するものではありません。
しかし、基本的な発想は少し違います。體は造り替えるものではなく、本来の状態に戻す(祓う)ものだと言う感覚。先祖から受け継いだ器をきちんと手入れして、次の世代に渡していく。 その過程で自分も健康に生きることができる。

生涯現役と言う言葉があります。死ぬまで現役で働「傍(ハタ)を楽に!」(ハタラク)き続ける。これは日本人が古くから持っていた理想の姿です。70歳になっても畑に出る。80歳になっても自分の足で歩く90歳になっても誰かの役に立てる。
見せるための體ではなく、使い続けるための體、社会的なステータスを得るための體ではなく、次の世代に何かを残すための體、この思想を今一度思い出していく必要があるのではないでしょうか?
難しいことをする必要はありません。新しい何かを学ぶ必要もありません。日本人として当たり前だったことを少しずつ思い出していくだけで良い。體がそれを覚えているからです。

最後に今日から始められる具体的な方法をお伝えします。どれも特別な道具は必要ありません。 日本人なら当たり前だったことを現代の生活の中で実践するだけです。SNSで流行る、西洋式の健康法、その落とし穴から始まり、日本人が本来持っていた骨の文化と言う思想を一緒に考えてきました。足元から體を造り上げていく具体的な方法・・・そしてなぜそれが失われ、今取り戻すことに意味があるのかをお話ししました。どれも特別なことではありません。 日本人なら当たり前だったこと、あるいは当たり前にできることばかりです。
※まず水を良く飲むこと、できれば1日2リットルを目安にこまめに水分をとって下さい。 お茶でも良いのですが、できれば白湯や常温の水が良いでしょう。
※體からの一日の水分・体外への排出量は(尿→約1200~1500ml・大便→水量80%・睡眠中の汗→約コップ一杯・呼吸→400~800ml)體の中の流れを良くする最も基本的なことです。
次によく噛んで食べること、これだけで解決する不調が驚くほどたくさんあります。 消化が良くなり、内臓への負担が減り、顎を動かすことで首や肩の緊張もほぐれていきます。
現代人は忙しさの中で噛むことを忘れています。(噛まなくても飲み込めるものが多い食材)ひと口30回とは言いません。(本音は50回ですが・・・100回噛めば奇跡が起きる!肌と血管が若返る!パロチン)お金は掛かりません!今日から少しだけ意識して噛んでみてください。

そしてよく歩くこと、できれば足の指を意識しながら歩いてみてください。 親指の付け根で地面を踏み締める感覚、土踏まずが働いている感覚。最初は難しいかもしれませんが、意識するだけで歩き方は変わってきます。(出来ればなんば歩き理論をお試しください) 動画 難波歩行 – Google 検索
もし機会があれば下駄や草履を試してみてください。ネット通販でも手に入りますし最近は若い人向けのおしゃれなデザインのものも増えています。(ナンバ歩きは膝に優しい!)最初は近所を少し歩くだけで構いません。足が本来の働きを思い出していくのを感じられるはずです。
東洋医学では「頭寒足熱」という言葉があります。頭は涼しく足は暖かく保つ。これは鍼灸医学の基本的な考え方でもありますが、現代人は逆になっていることが多いのです。
寒い時でもファッションの為にスカートを履いている。エアコンの効いた部屋で頭ばかり使い、足元は冷えている。意識して足元を温めてみてください。靴下を履く、足を温かくする湯たんぽを使う。 方法は何でも構いません。(ホットカーペット・電熱器は電磁波にご注意を!)脚が温まると體全体の血液の巡りが変わってきます。
そして「日本食」を大切にすること、味噌、醤油、みりん、酢、日本酒、梅干し、糠漬け、たくあん・日本の「発酵食品」にはこの土地の気候風土に合った知恵が詰まっています。 できれば昔ながらの製法で作られた本物の「調味料」を選んでみてください。 原材料を見ればすぐにわかります。味噌なら大豆と塩と麹だけ、醤油なら、大豆と小麦と塩だけ、添加物(材料表示)がたくさん並んでいるものは、本来の発酵食品ではありません!
「お米」をしっかり食べ、味噌汁(必須栄養素としては完全に近い!)を摂ることはとても大切です。 糖質制限が流行っていますが、日本人の體は、お米を主食として何千年も生きてきました。 その體に合った食べ方があるのです。
さらに、試していただきたい実践法→日本語の母音をゆっくりと声に出してみてください。 「あ」「お」「う」「え」「い」一つずつお腹から声を出す。できれば目を閉じて体の中に音が響くのを感じながら、日本語の母音にはそれぞれ異なる振動があります。
※「あ」胸を開く音・「お」はお腹に響く音・「う」は丹田を意識させる音・「え」は喉を通る音・ 「い」は頭頂に抜けていく音、この5つの音を順番に発することで、體の中心軸が整ってきます。
古来、日本では言葉に「霊力」が宿ると考えられてきました。言霊(ことだま)と言う概念です。
この声(発声)を出す事は、単に音を発することではなく、體の内側からエネルギーを動かすことです。
5分だけ時間をとって試してみてください。(出来れば肛門を締めると丹田に力が湧いてくる)声を出した後、體が少し軽くなっているのを感じられるかもしれません。
※ 常に丹田を意識して肛門を締める訓練を! 人生観が深くなり・物事に動揺しなくなる! 腹が座って来る!

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※ SNSで入る情報のような派手さはありません。ムキムキの體にはならないかもしれない。 しかし、これを実践した先には、生涯現役で働き続けられる體があります。歳を重ねても衰えない本当の健康があります。そしてそれは一人の健康に留まりません。
日本人一人ひとりが日本式の體造りを思い出していくこと。それはこの国全体の骨格を強くしていくことにつながります。政府に頼るのではなく、誰かに変えてもらうのでもなく、自分の體から始める。足元から一歩ずつ積み上げていく。それが日本人としての生き方を取り戻す最も確実な方法だと思います。
最後までお付き合いを頂きまして感謝致します。
笹沼整骨鍼灸院